琉球サンロイヤルホテルのアジアンモダンな日常

沖縄県那覇市の中心にあり、モノレール旭橋駅・バスターミナルより徒歩2分。国際通りや県庁にも徒歩圏内のシティーホテル。そんな琉球サンロイヤルホテルのスタッフブログです。公式ホームページには書ききれないディープな情報や書くには忍びないちっちゃい話、いろいろと綴ってしまいます。 住所:沖縄県那覇市東町6-20 TEL:098-862-3811

円山号

円山号


現在、当ホテルの敷地内に歴史的建造物跡の標示板が作られようとしています。その歴史的建造物がタイトルにある『円山号』です。

円山号ってなに?聞いたことない!と思われる方がほとんどだと思いますが、今日は那覇の歴史をさかのぼり、遠い昔に思いを馳せながらブログを書いてみたいと思います。
円山号(まるやまごう)とは、1935年(昭和10年)10月に大門通り(現在の那覇市東町)に開店した百貨店で、約150坪の敷地に鉄筋コンクリート造り3階建ての、当時の民間の建物としては沖縄一を誇る規模でした。

百貨店としては山形屋(現在の那覇市西町に1930年(昭和5年)開業)に次ぐ出店ですが、円山号の屋上からの展望と、お洒落で真新しい建物が那覇市民の人気を集めました。

その周辺は那覇市役所や警察署、郵便局(現在もあり)、そして商店が建ち並ぶ沖縄一の繁華街で、沖縄県鉄道(旧沖縄県軽便鉄道)の駅や港も近かったことから、物流の拠点でもありました。

しかし、その立派な建物も太平洋戦争後期の1944年(昭和19年)10月10日の空襲により半壊。その周辺は軍命により立入禁止(オフリミッツ)となり、被災のまま放置されていました。

1949年(昭和24年)12月、アメリカ軍政府・沖縄民政府が知念村から移転してきたのを機に補修され事務所となり、1951年(昭和26年)12月琉球政府立法院、1954年(昭和29年)8月には琉球政府社会局が置かれるなど、行政庁舎ビルとして使用されてきました。

マルエーグループの創業者 有村治峰(ありむら はるみね) がこの土地建物を譲受したのは1952年(昭和27年)3月、琉球政府立法院が置かれている時でした。


円山号


その後、行政が移転し、一帯が区画整理された後も建物は残っていましたが、1966年(昭和41年)9月に取り壊されて駐車場敷地となり、1986年(昭和61年)に琉球サンロイヤルホテルが建設されました。

このブログを書くにあたり、歴史的背景をいろいろと調べてみましたが、当ホテルのある場所が戦前の繁華街であったこと、また行政の中心地であったこと、そして沖縄県鉄道や沖縄電気軌道(電車)があったことなどいろいろと勉強になり、当時の事を考えるととても感慨深い思いがします。

この機会を与えてくれた那覇市市民文化部文化財課に感謝申し上げ、素敵な標示板が出来る事を心待ちにしております。


表示板完成予想図
円山号





沿革(円山号~琉球サンロイヤルホテル)

1935年(昭和10年)10月‐円山号百貨店新築開店
1944年(昭和19年)10月‐空襲により円山号建物半壊
1945年(昭和20年)8月~1949年(昭和24年)11月‐軍命により立入禁止(オフリミッツ)のため被災のまま放置
1949年(昭和24年)12月1日~1951年(昭和26年)10月30日‐米軍政府事務所
1951年(昭和26年)12月1日~1954年(昭和29)7月31日‐琉球政府立法院
1952年(昭和27年)3月20日‐円山号百貨店経営者 尾花仲次氏 より、マルエーグループ創業者 有村治峯 が土地建物譲受
1954年(昭和29年)8月1日~1958年(昭和33年)7月18日‐琉球政府社会局
1966年(昭和41年)9月‐建物取り壊し
1986年(昭和61年)6月‐琉球サンロイヤルホテル竣工

※さらに詳しい時系列が判明したため、2014年2月10日加筆修正しました。





円山号
昭和初期(1930年代頃)の那覇 (クリックで拡大します)


円山号
昭和初期と現在の併合図 (この地図は那覇市医師会前の標示板から拝借しました)



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Posted by さんろいやる at 2014年02月05日   15:02
Comments( 0 ) 沖縄の歴史 円山号
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